2018年7

カトリック信者の処方箋 

主任司祭 矢野 𠮷

 『かしの木』6月号で、私はカトリック信者としての基本的な心得を次回より学びたいと申しました。「教会の掟その真の意味は」をテーマにと。しかし、この「掟」という言葉は、何か厳めしく、人を縛るような、そしてそれを守れない者を罰し、罪に定めるようなイメージが強いように思われます。教会が定めた掟はそのようなものでしょうか。改めて五つの掟を読み直してみます。

(1)主日と定められた祭日(降誕祭など)にミサにあずかり、それらの日を聖とすることを妨げる仕事や活動を控えること。

(2)少なくとも年に一度ゆるしの秘跡を受けて自分の罪を告白すること。

(3)少なくとも復活節の間に聖体の秘跡を受けること。

(4)教会が定めた日に肉食を差し控え(小斎)断食(大斎)を守ること。

(5)おのおの分に応じて教会の財政を助けること(献金・維持費)。

 この五つは、神の十戒のように神様から与えられたものではありません(出エジプト記20章、申命記5章)。母なる教会がカトリック信者に与えた指示であり、信者として最小限これだけは心得てほしいとする思いであり、信者生活処方箋のようなものです。この指示の真意を知り、「掟」の文字にとらわれることなく、母なる教会が愛をもって語りかける教えとして受け取りたいと思います。この「掟」は私たちを束縛するものではなく私たちの信仰が強くなるためのものです。教会のこの思いを大切にしながら「カトリック信者の処方箋」を学んでゆきましょう


2018年6

初聖体のよろこびのうちに 

 

主任司祭 矢野 𠮷

 聖霊降臨の祭日に、四人の子ども達が初聖体拝領の恵みを頂きました。(当初は6月の聖体の祭日に初聖体の式を予定していましたが、日曜参観と重なり四人揃うことがむつかしく聖霊降臨の祭日になりました。)

 彼らは幼児洗礼を受け、初聖体の準備の勉強をしてこの日を迎えました。本人とご家族にとって大きな喜びであると共に、私たち箕面教会の信仰共同体にとっても大きな大きな喜びの日でした。

 幼児洗礼は、本人の意思というより親と教会の願いの中で授けられます。初聖体もそれに近いものがあります。彼らが次に受けるのは堅信の秘跡です。これは中・高生の頃に受けます。洗礼も初聖体も一方的に与えられたものですが、堅信の秘跡は、カトリックの信仰を自分の意思で責任を持って受け容れるという意味があります。したがって初聖体を受けた子ども達が、しっかりと信仰告白をしカトリックの信仰を自覚をもって、喜んで歩んでゆく若者へと成長するように箕面教会の信仰共同体の私たちは、彼らの信仰を育ててゆく大切な務めがあります。

 学校での勉強は子ども達の成長と共により高度なものになってゆきます。信仰教育も同じことです。聖書のこと、教会のことを成長と共により高く、深く、幅の広いものにし学んでゆかなければなりません。神様やイエス様のことの知識が初聖体どまりや堅信どまりであってはなりません。信仰の学びは生涯のものです。

 箕面教会の信仰共同体が、ミサを何よりも大切にし、祈ること、聖書を読み学ぶことに熱心でありますように、そして子ども達や若者達がその中で信仰を育ててゆきますように。そのために大人達がカトリック信者としての基本的なことを心得ておくべきかと思い次回よりその心得を学ぶことにします。「教会の掟その真の意味は。」をテーマに。大人の信者が学ぶことによって信仰の喜びを子ども達にそして若い人々に伝えてゆくいわゆる信仰のバトンリレーを!!!


2018年4月

聖土曜日の十字架

 

主任司祭 矢野 𠮷

 皆さんは聖土曜日の聖堂をご存知でしょうか。この日ミサはなく、祭壇上に磔刑の十字架がぽつんと置いてあるだけで、花もローソクも一切の飾りがありません。シンプルそのものです。私はその十字架の前で座っている時間がとても好きです。そしていくつかの言葉を思いめぐらしています。

「君はDÉSERTION(デゼルシオン)という言葉を知っているだろうか。ある人の周囲から親しい人、親しそうに見えた人、味方、味方らしくしていた人が困難な事情に遭遇すると次々に、いつとはなく立ち去ってゆくことである」森有正(『流れのほとりにて』筑摩書房)イエスの孤独を深く想います。そして人間の現実を。

クロネコヤマトの創業者の小倉昌男さんは生前ご家族に「イエスがみんなの罪を救うために十字架にかかってくれたんだから」と口ぐせのように言っておられたとのことです。(『小倉昌男祈りと経営』森 健 小学館)十字架のイエスを見つめたその視点は必ず弱いものに、強いものにはいかなかった。晩年会社を退かれた後、福祉財団を作られ奉仕なさったそうです。自分も弱きものという自覚を持っておられたのでしょう。

15歳で進行性筋ジストロフィ症で亡くなった北原敏直君はこんな詩を残しています。


ぼくがクリスマスの 詩をかくのは

キリストが十字架に かかったことが

あまりにもぼくたちに 関係ありそうな 気がするからだ

病気という十字架を せおわされたぼくたちに

どう生きたらいいかを おしえてくれる

そうなんだ

ぼくがクリスマスの 詩をかくのは・・・・

 

短い生涯を覚悟して一日一日を生きていゆく少年のあまりにも切実で鮮烈な心の有り処、十字架刑のむごさと苦しみを自分の出来事としている者のみが、つむげる言葉とこの詩を評した方がおられます。

なんの飾りもない聖土曜日の十字架です。しかしその十字架から強烈なメッセージを頂くのです。

キリストは死んだ、しかし人間というものは死によって終るのではない、死を超えて生きる存在であると十字架を教えます。

死を通して、死に打ち勝ってキリストは復活した。よみがえった。十字架の先にある出来事をしっかりと心の目で見つめてゆきましょう!  復活節はそのためにあるのです。


2018年2月

悲しみの聖母 (5)

 

主任司祭 矢野 𠮷

 22日教会暦は主の奉献を記念します。この日、母マリアは年老いたシメオンから神殿で、悲しみの人となることを告げられるのです。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。―あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(ルカ234-35)この悲しみの母としてのマリアの姿は、イエスの十字架上のみ言葉によってマリアが、私たちの母として、私たちの悲しみに寄り添う方として与えていただくことになりました。イエスは母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ1926-27)イエスの誕生から死までの母マリアの歩みは単なる親子の悲しみの歩みにとどまらず、私たち人間の悲しみに寄り添う歩みでもあり、その歩みは現代まで続いています。

 希望を失っている人々、不安の中にいる人々、社会の中であるいは家庭の中で片すみに追いやられ、希望も助けもなく、のけ者にされている人々とも母マリアはかたわらに居てに歩んでいると信じます。

昨年、教皇フランシスコが世界に配布してほしいと願われた写真をご存じでしょうか。それは今年13日に朝日新聞にも掲載された「焼き場に立つ少年」の写真。原爆投下後の長崎で亡くなった弟を背負って火葬の順番を直立の姿勢で待っている少年。歯をくいしばって悲しみを押し殺して立っている少年。この一人の少年の写真を教皇様はご覧になり心が深くゆさぶられ、11日の世界平和の日に際しこの写真を全世界の人々に配ってほしいと。そしてこう言われたそうです「すべての戦争の結果はこれだ!」と。この少年のかたわらに涙でいっぱいの母マリアが立っておられるように思えてなりません。

 悲しみの聖母を聖堂名に頂く箕面教会の皆さん、この名が私たちに示す意味を考えましょう。そして私たちの間から悲しみが少しでもなくなることが出来ますように祈りかつ働きましょう。

 

ナミダ ハ

 カミサマ ガ

オワカリニ ナル

コトバ

 

    ゴードン・ジェンソン


2017年12月

悲しみの聖母 (4)

 

主任司祭 矢野 𠮷

 12月、私たちは主のご降誕を待ちその準備をする待降節を歩み、そして、神が歴史の中にお生まれになった受肉(託身)の神秘を降誕祭として大きく祝います。「夜のしじまがすべてを覆うとき、神よ、あなたの言葉が天から下った。」と(知恵の書181415

 しかしイエスの誕生の影に大きな悲劇があったことを忘れてはならないのです。1228日教会は幼子殉教者を記念します。イエス誕生の時、東方の三博士がエルサレムにやって来て「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこに?」とヘロデ王に問い、王は自分の地位が危ういと思いベトレヘム周辺の二歳以下の男の子たちを殺した。イエスはこの出来事の前にヨセフに夢でお告げがありエジプトへ避難したとマタイ福音書は伝えます。(マタイ2章)

  この悲しい出来事をどう受け取ったら良いのでしょうか。人間を救うために誕生されたはずなのに・・・・。沢山の罪のない幼い子どもが殺されてしまった。何故か、イエスの誕生はこの問いからはじまりました。しかし、問うてすぐに答えが出るものでありません。私たちの人生も問うて簡単に答えがあるものではありません。母マリアのように「マリアはこれらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(ルカ21951)と福音書にあるように私たちも心の深いところで我が身に起こった出来事を思い巡らしながら人生を歩むのです。悲しみの聖母とともに。

 小児科医の細谷亮太さんが『いつもこどものかたわらに』というご著書でこう書いておられます。「それにしても、イエスとその両親はなんと悲しい運命を背負わされたのだろうと思った。自分が救い主として生まれたばかりに沢山の罪のない赤ちゃんが殺されたという事実を知りながら育たなければならなかったイエス、殺された赤ちゃんの家族の悲しみと怒りを感じながらイエスを育てたマリアとヨゼフ、辛かっただろうと心底思った。」(白水社P197)この方はキリスト信者ではありません。

 クリスマスの喜びの中にあって、戦争や難民としてまた、虐待やいじめにあって命をうばわれる子どもたちがいます。その子どもたちのことを私たちは忘れてはならないのです。祈ることとともに何が出来るかをさがしましょう


2017年10月

悲しみの聖母 (3)

 

主任司祭 矢野 𠮷

若松英輔という批評家で随筆家の著書に、『かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。悲しみにはいつも、愛(いつく)しむ心が生きていて、そこには美しとしか呼ぶことができない何かが宿っているというのである。』① また別の著書の中でも、『「悲し」「愛し」「美し」「哀し」はみな「かなし」と読む。詩人の中原中也は「愁し」と書いて「かなしい」と読ませている。五つの別種の「かなしみ」があるのではない。「かなしみ」にはいつも「悲」「愛」「美」「哀」さらに中也であれば「愁」という言葉で語るべき実感が折り重なっている。』②

 聖母の悲しみを想う時、若松さんのこの言葉が心に響きます。

 伝統的な聖母の七つの悲しみについては、『かしの木』の8月号に書きましたが、聖母の悲しみの出来事はその七つに限られるのではなく、現代の世界中の人々の悲しみと深くつながってゆくものです。

 マリアはお告げを受け、その胎にイエスを宿したとき、未婚・・となりました。未婚の母に対して当時も今も人々は厳しい目で見つめます。イエスが生まれた時、そのゆえにヘロデ王がイエスを殺そうとし、ベトレヘムで二歳以下の子どもたちを殺害しました。マリアの悲しみ、殺された子どもたちの親たちの悲しみ、そしてその難をのがれてエジプトへ脱出、難民となったのです。今世界中にいる難民たちの深い悲しみとマリアの悲しみ、難民・・となりました。イエスの死刑、マリアは死刑囚・・・となりました。家族の中に死刑囚が、まして自分の子が・・・・。犯罪人や死刑囚の母親は今も大勢います。世間の目をさけてかくれて生きている母親たち、マリアはそのお母さんたちとつながっています。マリアの悲しみは今も涙いっぱいの人たちと共に居ます。 つづく

①悲しみの秘義 ナナロク社P009

②言葉の羅針盤 亜紀書房P29    


2017年8月

悲しみの聖母 (2)

 

主任司祭 矢野 𠮷

箕面教会は、“七つの悲しみの聖母”に捧げられた教会であることを前回申し上げました

 ある方から、七つの悲しみとは何かとご質問を頂きましたので、ご存知の方もおられるとは思いますが今回はそのことについてお話しをします。

 

“悲しみの聖母”についての信心は、13世紀にイタリアのフィレンツェで創立された聖母のしもべ修道会から始まり、ヨーロッパに広がり、日本にはキリシタン時代に伝わりました。阪急中津駅の近くにある南蛮文化館には、この時代にイタリアで描かれた“悲しみの聖母”の絵が二つ保存され展示されています。それはとても美しいものです。江戸時代に鎖国の禁を破って日本に宣教にやって来てすぐに捕えられた、J・Bシドッチ神父も“悲しみの聖母”のご絵を持って来ており、その絵は東京国立博物館で保存、展示されています。そのレプリカは東京教区碑文谷教会の聖堂に安置されています。(シドッチ神父については『カトリック教会情報ハンドブック2017』のP28以下に詳しく述べられています)

 

聖母のしもべ修道会が広めた聖母の七つの悲しみは次の通りです。

 1.シメオンの預言(ルカ2・22-35)

 2.エジプト避難(マタイ2・13-15)

 3.イエスの行方不明(ルカ2・41-52)

 4.十字架の道においてのイエスとの出会い(教会の伝承)

 5.イエスのご死去とその十字架のもとにたたずむ(ヨハネ19・25-30)

 6.イエス十字架より降ろされ、そのなきがらを抱く(教会の伝承、ピエタ)

 7.イエスの埋葬(ヨハネ19・38-42)

 

 この七つが聖母の七つの悲しみと伝えられロザリオや道行も作られましたが、聖母の悲しみは現代社会にある多くの人々の悲しみや涙いっぱいの出来事と深くつながっているとの考えから、カトリック教会は七つに限定せず、現在の典礼では“悲しみの聖母”という呼び方で記念します。

 次回はこのことを考えてみます。


2017年4月

悲しみの聖母 

主任司祭 矢野 𠮷

箕面教会の聖堂を入ってすぐ左側に、聖母マリアのご絵が掲げられています。そのご絵の名は“悲しみの聖母”といい別名“親指のサンタ・マリア”とも。箕面教会の信徒の方が描き奉納して下さいました。

数歩下がって少し右の方から拝するのが良いようです。この絵が奉納された時、私はとても嬉しく思いました。箕面教会は桜ケ丘に聖堂が献堂された時(1953年)“七つの悲しみの聖母”に捧げられ、一時期“慈悲の聖母”名称が変わった時もあったようですが、カトリック中央協議会発行の『カトリック教会情報ハンドブック』によると箕面教会は、“七つの悲しみの聖母”に捧げられた教会になっています。(P.189)ただ箕面教会にはその名称にふさわしいマリア様の姿がありませんでした。悲しみの聖母のご絵を聖堂にほしいと箕面教会に赴任した時から思っていました。

 箕面教会を創立された、フランシスコ会サクソニア管区(ドイツ)の司祭方がどのような思いで教会名にこの名称をつけられたのかは定かではありませんが、私たちの教会がこのお名前を頂いていることは、北摂・箕面の地での宣教・司牧を考えてゆく上でとても意味の深いことと思われてなりません。同じ敗戦国のドイツ人として戦後間もなくこの箕面の地で宣教して下さった司祭方の熱い思いはこの“悲しみの聖母”の名に託されていると思います。その宣教師方の思いをしのびながら、未来に向けて箕面教会の宣教・司牧を考えてゆきたいと思います。

(以下 つづく。)    


2017年2月

返せないほどの祈りと犠牲に支えられて

~司祭叙階という恵み~     

 

司祭 豊田 貴範

 司祭職への召命は、聖堂における奉仕から聖体への奉仕へと続くものと神学校で学びました。2年の哲学科を終えると、認定式によって正式に大阪教区の神学生と認定され、年ごとに朗読奉仕者、祭壇奉仕者と選任されます。この選任によって、候補者は、みことばへの奉仕、祭壇への奉仕を通して聖職にあずかる準備をしていきます。そして、助祭叙階によって聖職者としての一歩を踏み出し、先のみことばへの奉仕よりも一歩進んだ福音への奉仕と愛の務めに専念することが求められます。

 

「叙階」という言葉が「人の上に‘上る’のではなく、仕えるために一歩降ること」とも学びました。

 

司祭職は自分がなりたいという思いだけでなれるものではありません。司祭職への召命の歩みの中で大切なのが、神の招きと同時に共同体からの選びと祈りといわれます。本人の自由な同意はもちろん大切なのですが、それは先の二つの大切な要因に比べると確認作業のような印象さえあります。

 

以上のことを考えると、聖職者とは、ある人とキリストとの出会いの間で奉仕する黒子のような存在だとわたしは捉えています。黒子になる歩みは、自分の人間的な限界のうちに回心し続ける一生涯の歩みと心得ています。

 

司祭叙階の恵みにあずかるにあたり、神学校に通って以降、多くの方々の祈りと犠牲と奉仕によって、取るに足りない自分が支えられてきたという事実に、私は戸惑いを隠せません。頂いたから返礼するといったような簡単なものでなく、大きすぎて返せないものだからです。

 

これまでの至らぬ私の歩みに、聖なる三位の神様と特に箕面教会共同体の皆様に深く感謝し、同時にこれからの歩みに対して、働く全ての司祭のために祈りによって支えて下さるようお願い申し上げます。司祭職は、悪の勢力と時代に翻弄されながら、道なき道を、荒れ野を歩む旅路に似ると思うためです。


2017年2月

 

ユスト高山右近列福に寄せて

  主任司祭 矢 野 𠮷 久

 日本のカトリック信者の念願であったユスト高山右近が福者に列せられ“福者ユスト高山右近”として祭壇で公に記念し祝うことが出来るようになりました。私たち日本のカトリック信者にとって大きな喜びであります。

高山右近については、これまで幾つかの小冊子で出されており、とりわけ昨年皆様にお配りした『右近と歩む祈りの旅』(日本カトリック司教協議会列聖推進委員会)は右近の人となり、生涯、信仰について大変よくまとめられています。ご再読をおすすめします。

 また、今年の大阪カトリック時報月号に、前田大司教様の年頭書簡である『新生の日メッセージ』に―いつくしみを右近に倣い再新生―として右近から何を学ぶかを分かりやすく書いて下さっています。是非お読みください。大司教様はこのメッセージの中で右近のことを、「祈りの人、慈悲の人、寄り添いの人、宣教の人」と言っておられます。この四つのことは、右近の生きた400年前の時間を越え21世紀を生きる私たちカトリック信者も決して忘れてはならない大切な事柄ではないでしょうか。大司教様は言われます。右近に倣って「祈りかつ働くいつくしみの福音宣教を!」と。2018年は大阪教区再宣教150周年に当ります。右近の列福をお祭りさわぎのイベントに終らせるのではなく、大司教様の呼びかけに応え、右近からその信仰を学びつつ今を生き、福音宣教の歩みをしっかりと進んでゆきましょう。

 福音宣教とは、信者の数を増やすことが第一の目的ではありません、勿論それもおろそかにして良いのではありませんが、何よりも私たちカトリック信者が、社会の真只中でパン種となって社会の福音化のために努めることであります。すなわち、主イエス・キリストの教えられた、愛すること(大切にすること)、ゆるすこと、分かち合うことを生き伝えてゆくことではないでしょうか。そのために先ず聖書を読み、祈り、右近をはじめ信仰の先輩方から学んでゆくのです。

 

福者と聖人の違い

詳しいことを述べると長くなりますので簡単に申します。

 列福され福者と呼ばれる人は、その人ゆかりの地域(高山右近の場合、日本やフィリピンの教会)や修道会で記念し祝います。    

 列聖され聖人と呼ばれるようになると全世界で記念され祝われます。

 

 尚、ご像やご絵で頭に光輪を描くのは福者からとなっています


2016年12月

 

アンジェラスの鐘

主任司祭 矢 野 𠮷 久

箕面教会には鐘があります。この鐘のことを“アンジェラスの鐘”と言います。

毎晩6時に鐘が鳴りだすと、近所の犬たちが一斉にワンワンと鳴き始め、鐘が鳴り終るとピタッと鳴き終ります。鐘と一緒に“お告げの祈り”をしているのか、鐘に賛成しているのかはたまた反対しているのか・・・。これが365日毎日で、とにかく賑やかで楽しいことです。

箕面教会の鐘については『かしの木』の11月号に詳しくしるされているので省きますが、カトリック教会が鐘を鳴らして“お告げの祈り”をするようになったことについて少しお話をします。

「始めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」ヨハネ1.1,14(新共同訳)「初めにあったのは、神さまの思いだった。思いは神さまの胸にあった。その思いこそ神さまそのもの」「神さまの思いが、こうして人の体をまとって、われらが間に住いしなさった」(山浦玄嗣訳)

“神が人となった”このことを“受肉の神秘”といいます。古い表現では“ご託身の奥義”と言いました。よくよく考えるとこれはとてつもない出来事です。人間の方に神が近づき降りに降りてこられ、私たちと同じ人となられたのです。神さまがご自分の思いを人に伝えるためです。愛すること、ゆるすこと、分かち合うこと。そして本当に仕合せになってほしいと。

この“受肉の神秘”を人々に思い起こさせるために、13世紀に聖ボナベントゥラというフランシスコ会士が毎晩鐘を鳴らしアヴェ・マリアの祈りを唱えたのがはじまりです。やがてこの習慣は全世界に広がりお告げの祈りとして信者の中に定着してゆきました。

待降節は、神が人となられた出来事を静かに思いめぐらしそのご誕生を準備します。そしてご降誕祭でその喜びを大きく大きくお祝いし、降誕節の間その喜びを記念します。

箕面教会の近隣には殆ど信者は居ませんが、しかし、毎晩鐘を鳴らしてキリストを知らない人々にキリストを伝えているのです。キリストの教会ここに在りと、福音を伝える役割を担って。

今の処、犬たちだけが応えてくれています。

(※ アンジェラス。お告げの祈りの冒頭がラテン語のAngelus Domini で始まることによります)